(再)改名します

こんにちは、S区です。
早いもので2週間くらい前のことになってしまいましたが、桜前線を遡って博多に辿り着きました。
途中、伊豆の実家へ寄ったので、先日(S+1)彦さんが紹介していた東駿河湾環状道路と今回初めて新東名を利用しました。
駿河湾環状道路、確かに早いです。
当日(3/30)は春の嵐、激しい雨と風でそれどころでなかったような気もしますが、函南からあっという間に高速へ流れて行きました。

で もって、博多ですが、新しい住宅は、天神や中洲などの繁華街へ20〜30分で行ける距離のわりに静かなところで、5分も歩けば、区役所や郵便局、スーパー、コンビニ、八百屋、電気屋、居酒屋、喫茶店まであるという便利で暮らしやすそうなところです。
いとこの結婚式などあって数日再び伊豆へ帰っていたり、夫が以前赴任していた佐賀県唐津市へ行った以外は荷解きしたり新しい住宅仕様に品を揃えたりしてほとんど徒歩5分圏内で暮らしているので、博多での発見、出来事は追々ということにいたします。


代わりに、1年と1ヶ月の短い間でしたが、ちょっと前まで働いていた病院でのことを少し書こうと思います。
その病院での仕事は、メディカルアシスタントという医師付き事務員のような仕事で、私の場合、泌尿器科の外来に入ったり、整形外科で手術記録や症例写真のデータ整理をしたり、地域連携室で入院関係のチェックをしたり新患予約のチェックをしたりというものでした。
紹介予約制の小児専門病院で、医療系の仕事経験のない私にとってここで聞く病名のほとんどは初めて知る病気ばかりでした。
知らないという怖さ、市役所での仕事同様、間違いがあれば患者さんや医師、スタッフの皆さんに迷惑をかける、しかも身体に関わること・・という思いが常にありましたが、初めての病院事務で特に泌尿器科の外来に入って見聞きしたことはこれからも深く心に残っていくように思っています。
泌尿器科の外来での仕事は、診察記録や手術記録などの整理をする他、先生からの指示書に基づいて次回の予約をとったり、検査オーダーを入れたり、患者さんからの電話での問合せに対応するというように患者さん家族と接する機会が多かったのですが、エコー室の一角で事務をさせていただいていたこともあり、患者さんと先生、看護師さんとのやりとりをカーテン越しに聞くことも日常でした。
エコーでは、検査等の恐怖がよみがえって泣き出す子も多かったのですが、「○○くん(○○ちゃん)もしもしするだけだよー。全然痛くないよー。」「大丈夫だから、がんばってやってみよう!」「よくがんばったね。終わりっ!」と優しく声をかけられていたり、ご本人や親御さんの疑問や心配を汲んで丁寧に説明されている様子がいつも聞かれました。
電話応対では、手術前なのだけど体調を崩してしまったとか、次回の予約はだいぶ先なのだけど気になるところがあって相談したいなどの用件を先生に伝えて先生の指示を仰ぐのですが、先生方は毎日たくさんの患者さんを診ていらっしゃるので氏名・年齢・前回の診察日付・SOAPが書かれた部分のコピーを持って行って伺うようにしていたのですが、たいていの場合名前を伝えれば「○○ちゃん、どうしたって?」とその患者さんの状況を把握されている様子でした。
また、先生や看護師さんが定期的なフォローが必要な患者さんの成長を感心したり喜んだりしている場面にもよく遭遇しました。

先生方の時間の限り患者さんを診て患者さんが快適に過ごせるよう耳を傾け治療方針を考えていらっしゃる姿勢を感じたり、看護師さん方がいつも明るく優しく接して患者さんやご家族を励ましている姿を見ていると、患者さん側はどんなにか心強いだろうなぁと思ったり、患者さんの方も、二分脊椎症で排泄管理が必要な患者さんなど日々本当に大変だったり、葛藤などあると思うのですが、平静なのを見ると、ひとまわりもふたまわりも年下なのに様々な思いを乗り越えてどんなに大きく強い人なんだろうと思ったり、手術にこれから臨む子や終えられた子の姿からたくましさや勇気を教えてもらっているように感じていました。お恥ずかしながら、ここで働くまで自排尿することがままならず導尿しなければならない人がいることさえ知らず、考えることもなかったわけで、知らなければ人を思いやることなどできないし、もっといろいろなことを知らなければいけないと思いました。本当にいつも前向きな気持ちで働ける職場でした。


というわけで、時間を少し戻してしまいましたが、博多での生活スタートとともに「S区改め博多在住」に改名し、新しい場所でがんばっていこうと思います!



S区の海と元気に働くS区のおばあちゃん