海音


我が家でも、年の瀬に餅を搗きます。
今では田んぼをやっていないため、自家製米ではないのですが、それでも「年中行事で暮れには搗こうじゃ」という祖母の意向で餅つきをします。
我が家の餅つきは、父や母、そして私の仕事の関係で毎年28日の夜。父と母は今春リタイアしましたが、今年もやはり28日の夜に行いました。今年は妹夫婦も手伝いに来てくれ、姪の声援を背に、母が捏ね取りし、祖母が搗き、義弟が搗き、私が搗きます。甥を背負った妹や今年は嬉しい事にリハビリの途上にある父も5年ぶりに杵を数回振り上げて、その夜は、全部で1斗8升、9臼分の餅を搗きました。(ちなみに我が家では、餅米を蒸かした後、機械である程度餅にし、最後、臼で仕上げる方法です。以前、男手が無くてピンチと言った同僚のところへ手伝いに行ったところ、S士Hawk家同様「こづき」する方式で大変な目に遭ったことがあります。S士Hawkさん、アルコールで労をねぎらうのは当然です。)


そして今夜は今年を振り返って、もう少し書こうと思います。
今回のブログ、タイトルはある女の子の名前です。
日々の色々に追われ、新聞を深く読むことも報道番組を腰を据えてじっくり観ることままならず、週の大半は帰ったら眠るだけ、お恥ずかしい話ですが、多くの人がオンタイムで話題にしていることを知らないことが私には多くあります。
そんな暮らしの中で、風呂上りにたまたまついていたテレビ番組でその子を知りました。途中からだったので、もしかしたら間違っていることもあるかもしれませんが、その子は、東日本大震災で両親と姉を失い、今は祖父母と暮らしていました。その子はまだ小学生だというのに、寂しさを口にしたり泣いたりせず、自分だけ逃げて助かったと自分を責めていました。親に甘えたり、わがまま言って怒られたり、遊びに夢中になったりする年頃の子が、自分を包んでいた大きなものを失っているのに、何かのせいに転嫁したり、弁解せず、自分を責めている。胸が詰まる、の一言でした。
「自分はいったい何者なのか」
この言葉は、コラムニストの栗田亘さんが4月27日のあらたにす>新聞案内人>「言葉の力、声の強さ」の中で、4月13日付け朝日新聞>記者有論>武田耕太記者「失われた言葉 想像し続ける力がほしい」の文章を引用していた中にありました。
今年、たまたま知った毎月引き落としされる募金を始めましたが、自分がすべきことはそれだけでいいのか?日々漠然と過ごし動かないでいる自分に対し何度この言葉を投げかけたか。

また、今年は、とても近しく思っている人が大きなケガをして、明るいその人が、絶望の淵で時に哭きながら、ひとつひとつの苦境を乗り越えていく姿を見て聞いてした一年でもありました。
4ヶ月経った今、ようやく退院の目途がつき、来月後半にはリハビリ通院になるとのことです。
軽々しく言えることではないですが、今、大変な思いをされている方々の心を霞める悲しみや苦難がゆっくりでも少しずつ軽くなっていかれることを、ひとときでも心安らかに新しい年を迎えられますようお祈りいたします。


来年もどうぞ、下田S級サザエ共々宜しくお願いいたします。
(S区在住)