パリとバルセロナの休日

憧れはあったものの難航度の高い旅行先というイメージで長い休暇を取らないと行けないところに託けて敬遠していたパリへ先々週行ってきました。それとバルセロナへ。
いつかは行く、でも自分が予定していたより随分早くその時がやってきたことが妙で、有名美術館やパリ周辺の名だたる観光地を見学していても頭の片隅はどこかぽかん。そんな頭で見てきたパリの旅行記です。


まず目に飛び込んできたのは古都の規模の差、目に映る建物の風格や大地に圧倒されたのでした。凱旋門の前に立つと空も道も広く、パリは想像以上に大きくて、空を見れば、画家が何故画を描くか分かるような風景があって、また、堅牢に建てられて何百年にも渡って世の情勢を見てきた建物を見ると、パリの街の過去・現在・未来を支配するのはこれら建物ではないかと思ったくらいの風格がありました。(そんなふうに思ったのは、パーキングが見当たらず見事なまでに路上に縦列駐車されたクルマの列を見た時に、古い町割りに暮らすということはそういうことではないかと思ったからでもありました。)

そして、パリはやはり観光地で、街の雰囲気に慣れてくると一見パリジャンに見える人もヨーロッパ内外からの観光客だったりして私たち同様に「Paris」と書かれたガイドブックを持ち歩いてたりして、また同様に「初めてでよく分からないんだけど、これで合ってるのかな?」という素振りで切符購入機の前で格闘していたりで、みんな案外同じじゃん!と親近感が湧いてくるのでした。
そしてそのよく分からない素振りの観光客にパリジャンが親切に接していて、実際 私達もヴェルサイユまでの切符の買い方が分からず後ろに並んでいた人に操作してもらって無事に購入できたのでした。
パリジャンの親切さは、メトロの階段でもよく目にし、老婦人が重たい荷物を持っていると必ずイケメン風の(とカッコよく見えました)若い男の人が荷物を運んであげていました。

パリの乾燥と天候不順(晴雨寒暖)は想像以上で、大雨に降られることは幸いありませんでしたが、テレビのチャンネルによって予報が違うとか、その都度コロコロ変わると聞いてびっくりしたし、日に日に肌が荒れていくのをただただ見ているしかなく・・。(肌荒れの原因は、パリの乾燥の他にバルセロナの日差し、熟れていないネクタリンにかぶりついたことが大きいのですが。)

バルセロナはというと、当然と言えばそれまでですがパリとは全く異なる風土で日差しが強くて何もかもが眩しい印象でした。

人は好意的で、食べ物にハズレがない印象ですが、1泊2日でトンボ返りする短さだったので行けたのはサグラダ・ファミリア聖堂やグエル公園、グエル邸、カサ・ミラ、カサ・バトリョのみ。あとはフランサ駅周辺やグラシア通りとイニエスタ選手の実家で作られるワインを扱うお店周辺を彷徨していたのでした。
今回の旅行の一番は、アントニ・ガウディによる建築物を見たことで、その精緻なデザイン性とか独特性、そして機能性の高さに受けた感銘の大きさは人生で一番のような気がしています。
マイベストワンはカサ・バトリョ。再訪しもっと沢山の作品をゆっくり見て回りたいです。コロニア・グエル教会堂に足を伸ばさなかったことが悔やまれています。
大好きな夜行列車の移動も、そして初めての、購入方法を説明してくれているサイトと翻訳サイトを行ったり来たりとチケット購入からドキドキだったLCC移動も良い思い出です。
異文化はやはり面白いというのと、拙い語力を語気の感触や目で補ってコミュニケーションする(時々失敗も!)のが楽しくて、海外旅行の醍醐味をふんだんに満喫し、普段触れられない部分を多いに触発された旅行でした。

ちなみに、言葉が通わなくての失敗談は、モン・サン・ミッシェルへ行ったときのこと。島の名物オムレツ店で頼んだオムレツとロブスターがメインのセット。注文時に店員さんがいろいろと説明してくれていたのだけれどよく理解しないまま「とりあえずスモールサイズでOKです」なんて調子で注文し、頬が落ちるほど濃厚な海老の半身と泡のようなオムレツ、ココットに入ったトリュフオイル添えのジャガイモ、3種のっかったデザートと食後のコーヒーを堪能。会計の段になって勘定書に196€の文字が見えた瞬間、時間がとーってもゆっくり流れて「2万円?・・ワインも飲んでいないのに?」とゆっくり思ったのでした。しかし、メニューには25€/100gときちんと書かれており、帰りのバスの中では念願のモン・サン・ミッシェルに感動しきって眠る夫の傍らで「帰国後節約生活、それで良し!」と頭のなかで繰り返し帰ったのでした。後日、旅先からの日記を兼ねた絵葉書(その日の担当は夫)には「店員さんからいろいろ言われたがよく分からず○ちゃんは「スモールサイズ」と言い放ち、店員さんを押しやった。(中略)ロブスターは300gあったと推測され、おそらく店員さんはこのシステムを説明していたと推測された。ちゃんちゃん・・」と書いてありました。この失敗談はまだ誰にもしておりませんが、勘定書を開いた時のお互いの顔を思い出すと笑ってしまう自分がおります。






(S区改め港南区在住)